シンガポール向けの化学プラントもスタートしたばかりだったので、すぐ海外へということはなかったのですが、このプロジェクトは、設計の大部分をインドの設計会社へ委託していたので、タイミングを見計らって、自分がインドへ行くことになっていました。その時期は、2003年の秋ごろだったため、ひとまずは、安心しました。
2003年の年明けから、毎週土日に、専門学校のある水道橋へ行き、ビデオブースで講義を受けたのですが、この頃は、今まで蓄積していた疲労がどっとでて、眠ってしまい、気付いたら講義が終わっていたということもよくありました。
論文式の試験であるにもかかわらず、答練なども一枚も書くことなく、解説のビデオだけ視聴して、資料をもらって帰るという状態が続きました。
そのような中で迎えた2003年の試験は、いうまでもなく不合格でした。しかも、Fランクという足切りでした。
不動産鑑定士第二次試験では、不合格者を上位からA、B、C、D、E、Fとランク分けするのですが、Fランクというのは、一番下のランクです。
やはり、生半可な気持ちではまったく歯が立たないことを実感しました。
そして、合格発表後、しばらくして、予定通り、インドへ行くことになりました。
スーツケースに、専門学校で使用したテキスト、問題集、答練をつめ込んで。